「小江戸川越おいも探訪」より
今回は、「川越の甘藷先生、赤沢仁兵衛」についてです。
明治のさつまいも先生と呼ばれた赤沢仁兵衛。
従来の栽培技術を改良研究し、
さつまいもの収穫を倍にする増収法を確立しました。
仁兵衛は天保8年に今福村に農民として生まれました。
その後、赤沢家の婿養子となったのですが、
当時の赤沢家は畑や山林が抵当に入っており、
住んでいた家も親戚の所有で大きな借金を抱えていました。
そんな逆境の中、さつまいも以外作れる作物がなかったこともあり、
さつまいも作りで借金を返済しようと考えました。
仁兵衛はさつまいもの作り方の研究に没頭し、
明治初期にはさつまいもの増収法の基本的方法を確立しています。
のちに「赤沢式」と呼ばれるようになった要点には
1.どうすれば芋がたくさんつくよい苗ができるのか
2.ウネを思い切り高くすること
3・稚肥をたくさん加えること
がありました。
この赤沢式は後に、郡役所に注目され、
明治43年には「実験甘藷栽培法」という本も発行し、
いっそう普及がなされました。
赤沢家は今でも残っており、お墓も畑の中に立てられています。
川越がさつまいもで有名になったのも
赤沢仁兵衛の研究熱心な力もあったようです。