川越城
以前「修復中の川越城本丸御殿」「本丸御殿の屋根瓦」で川越城本丸御殿の保存工事についてご紹介させていただきました。
工事の進捗状況を見てきました。
屋根には瓦が載せられ、以前は銅板を葺きまばゆい光沢をした銅板屋根が見えていました。
銅板屋根は雨にあたるとすぐ真っ黒になってしまうそうで、素屋根解体から雨が降るまでの期間限定の光沢屋根となってしまいました。
皆さんにお見せできなくて残念です。
今は巨大な素屋根解体が終わり、ようやくフェンス越しに屋根が見えてきました。
桜も綺麗に咲いていて、沢山の方が修繕工事を見に来ていました。
完成が楽しみですね。
進捗状況、またご報告させていただきます!
◆川越城本丸御殿保存修理工事サイトはこちら
以前「川越城の堀復元 ~川越城中ノ門堀跡~」「完成予定図に近づいてきました ~ 中ノ門堀跡 ~」で、川越城のお堀についてご紹介させていただきました。
この度、川越市による整備が4月1日にて終了いたしましたので ご紹介させていただきます。
3月28日(日曜)に中ノ門堀跡の完成を祝って竣工式が行われました。
4月1日(木曜)からオープンしており、9時~17時まで見学する事が出来るそうです。
「完成予定イメージ図」とほとんど一緒ですね!
以前までは中ノ門堀跡の門をふさぐようにして民家があったので、堀の存在を知らない人が多かったと聞きます。
川越城の名残を感じることが出来る堀が整備され、こうして残された事で、城下町の風情を少しでも感じることが出来るようになりました。
ちなみに4月1日(木曜)当日、川越市のマスコットキャラクター「ときも」がこのオープンを記念して9時~、13時30~の2回にわたり登場し、PRしていたようです。
川越城は日本100名城のひとつとして知られています。
一番街と本丸御殿を結ぶ中間の地点にありますので、川越にいらっしゃった際にはお立ち寄りいただけたらと思います。
以前、川越城 本丸御殿についてご紹介させていただきましたが、保存修理工事が始まってから約1年半となりました。
今回の本丸御殿の修理工事は、外観を維持することも重要なポイントとなっているようですが工事による変更も もちろんあります。
その一つとして屋根瓦をご紹介したいと思います
本丸御殿の大きな屋根には なんと約2万枚の瓦が使用されていて、今回の修理に伴い約6千枚が新しい瓦に交換されています。
とはいえ、使用できる古い瓦は再利用していて、新しい瓦は外観維持を配慮して裏庭側の屋根に配置されているので、皆さんが目にする新しい本丸御殿の外観が激変することはありません。
また地元の皆さんならご存知かと思いますが、以前の本丸御殿は北側と南側の両端で鬼瓦が異なっていました。
今回の工事で北側鬼瓦の複製品を南側にも配置されるのでこの違和感がなくなるそうです。
なぜ鬼瓦は北と南で異なっていたのでしょうか?
理由は、
建設当初 北側にのみ鬼瓦が置かれていて元々南側には鬼瓦はありませんでした。南側には鬼瓦ではなく建物(書院)が接続されていたようです。
その後この建物が解体され、南側の体裁を整えるため 明治初期に解体された本丸御殿のどこかの建物の鬼瓦が転用されたのでは?という可能性が指摘されているようです。
鬼瓦だけでなく、修理後には他の変更部分も是非とも探してみたいですね!
楽しみです
(東洋堂スタッフ:今井)
以前、『川越城の堀復元 ~川越城中ノ門堀跡~』で中ノ門堀跡についてご紹介させていただきました。
唯一残っていた川越城の堀跡整備ですが、今春には完成予定ということで見に行ってみました。
完成予定図にだいぶ近づいてきました!
完成が楽しみですね♪
川越城は、長禄元年(1457)に、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれています。
2007年には築城550周年をむかえ、川越市において、色々なイベントが行われました(例えば、記念メッセージ花火など、ユニークな花火が川越の夜を彩りました)。
ちなみに、川越城本丸御殿は嘉永元年(1848年)に消失した二の丸御殿にかわって建てられました。現在は玄関・広間・家老詰所が残っています。
本丸住居絵図: 幕末の本丸御殿が描かれています。青い部分が現存部分です。 | |
本丸御殿現況図: 現在残っている本丸御殿の間取りです。 |
| 川越城本丸御殿は、昭和42年以来の大規模な保存修復工事をすることになりました。 |
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修理の状況は「川越市立博物館」のホームページでも公開されています。
↓↓↓
http://museum.city.kawagoe.saitama.jp/hommaru/
川越城本丸御殿は、平成20年10月20日より、平成23年3月(予定)までは見る事ができません(休館)。
川越に観光においでの方はお気をつけ下さい。
◆ 歴代城主一覧 (豊臣秀吉の全国統一以降の城主一覧) ◆
↓
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(東洋堂スタッフ:今井)
川越には関東七名城の一つである、川越城があります。
川越城は別名、河越城、初雁城、霧隠城といわれていますが、川越市民の方は「本丸御殿」と呼ぶことの方が多いかもしれません。
長禄元年(1457年)に、扇谷上杉持朝が家臣の太田道真・道灌父子に命じ築城させたお城で、扇谷上杉氏は古河公方足利氏(しげうじ)と対立しており、足利氏に対抗する城として築かれたものです。
川越城跡には本丸御殿の一部が残っていて(本丸御殿:1848年(嘉永元年)に当時の藩主・松平斉典(まつだいら なりつね)が造営したもの。)、この本丸御殿は現在、玄関・広間部分と移築復元された家老詰所を残すのみですが川越城唯一の遺構となっていて、大変貴重です。
御殿建築が残っているのは少なく、江戸からの城郭 本丸御殿が現存している例では川越城と高知城だけだそうです。
蔵の町・川越を代表する文化財として一般公開されていますので、川越にお越しの際には是非お立ちより下さい。
ちなみに、城跡自体は1925年(大正14年)3月31日に埼玉県指定史跡となっています。
ところで、川越市役所から川越博物館へ向かう中ほどに、川越城の空堀が残っています。
この空堀は、明治以降に次々と川越城の空堀が姿を消す中で、唯一原形に近い形で残っている堀跡で「中ノ門堀跡」と呼ばれています。
「中ノ門堀跡」は、敵の直進を妨げるために作られた防御施設です。川越城の姿を現在に伝える貴重な遺跡であるため、現在、川越市では保存の整備工事が進められているそうです。
← 川越城中ノ門堀跡
整備工事の看板です
川越にお立ちよりの際は、本丸御殿や中ノ門堀跡の観光もオススメですが、明治35年より100余年続いている東洋堂もよろしくお願いします。